大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

大阪高等裁判所 平成2年(ラ)323号 決定 1991年11月14日

〔平2(ラ)299号抗告人、同322号ないし324号各相手方〕

森川佐知子 外1名

〔平2(ラ)322号抗告人、同299号、323号及び324号各相手方〕

小山茂

〔平2(ラ)323号抗告人、同299号、322号及び324号各相手方〕

小山優一

〔平2(ラ)324号抗告人、同299号、322号及び323号各相手方〕

武田五月枝

〔平2(ラ)299号、同322号ないし324号各相手方〕

○○市 外3名

主文

原審判を取り消し、本件を和歌山家庭裁判所に差し戻す。

理由

1  当審における申立と主張

(一)  平成2年(ラ)第299号事件(抗告人・原審相手方森川佐知子・同小山広子)

抗告の趣旨は、「原審判を取り消し、さらに相当な審判を求める。」というのであり、その理由は、別紙(一)記載のとおりである。

(二)  平成2年(ラ)第322号事件(抗告人・原審参加人小山茂)

抗告の趣旨は、主文と同旨の裁判を求めるというのであり、その理由は、別紙(二)記載のとおりである。

(三)  平成2年(ラ)第323号事件(抗告人・原審相手方小山優一)

抗告の趣旨は、主文と同旨の裁判を求めるというのであり、その理由は、別紙(三)記載のとおりである。

(四)  平成2年(ラ)第324号事件(抗告人・原審相手方武田五月枝)

抗告の趣旨は、主文と同旨の裁判を求めるというのであり、その理由は、別紙(四)記載のとおりである。

2  当裁判所の判断

(一)  本件遺産分割申立事件の概要

記録によれば、次の事実が認められる。

(1)  原審相手方ら及び原審参加人の父である小山吉郎(以下「吉郎」という。)は、昭和46年3月8日に死亡して相続が開始し、その相続人は妻小山ゑ津(以下「ゑ津」という。)と原審相手方ら及び原審参加人の9名であり、これら相続人らの法定相続分は、ゑ津が12分の4、その余の相続人らが各12分の1であった。

(2)  吉郎の相続財産につき、上記9名の相続人ら間に遺産分割協議がなされないでいたところ、ゑ津が昭和57年2月25日に死亡して相続が開始し、その相続人はゑ津の子である原審相手方ら及び原審参加人の8名であり、これら相続人らの法定相続分は各8分の1であった。

(3)  別紙第一目録(編略)1ないし8記載の不動産及び同目録9記載の賃借権は、吉郎死亡当時吉郎の所有名義となっていた。

他方、ゑ津については、ゑ津固有の相続財産はなく、吉郎の相続人として吉郎の相続財産に対して有する前記相続分(法定相続分12分の4)が唯一の相続財産であった。

(4)  原審申立人は、昭和51年1月27日原審参加人との間に、原審申立人が別紙第一目録1記載の土地の一部を代金140万3840円で買い受ける旨の売買契約を締結し、ついで昭和54年6月1日ゑ津との間に、原審申立人が同目録8記載の建物を代金871万3000円で買い受ける旨の売買契約を締結し、さらに昭和55年5月27日原審参加人との間に、原審申立人が同目録2ないし6記載の土地を代金1573万7000円で買い受ける旨の売買契約を締結した。なお、同目録8記載の建物は、昭和55年9月に取り壊された。

(5)  原審参加人は、原審申立人から、上記各土地について所有権移転登記手続を請求され、原審相手方らの同意を求めたが応じてもらえなかったため、昭和56年に和歌山家庭裁判所に遺産分割調停を申し立てたが(同裁判所同年(家イ)第××号事件)、昭和57年5月調停不調のため取り下げた。

ついで、昭和59年6月、原審申立人において、原審参加人及び原審相手方らを相手方として、和歌山簡易裁判所に対し、上記各土地の所有権移転登記手続を求める民事調停を申し立てたが、昭和60年6月不成立により終了した。

そこで、原審申立人は、原審参加人に代位して、昭和60年11月和歌山家庭裁判所に対し、吉郎の相続財産につき遺産分割の審判を求める申立をし(この申立が同裁判所昭和60年(家)第1546号事件である。)、ついで昭和61年9月同裁判所にゑ津の相続財産につき遺産分割の審判を求める申立をした(この申立が同裁判所昭和61年(家)第1261号事件である。)ことにより、本件遺産分割申立事件として審理されることとなった。

(6)  本件遺産分割申立事件においては、原審参加人及び原審相手方らとの間に、吉郎の相続財産の範囲や特別受益の存否(主として、吉郎死亡当時、原審参加人名義となっていた別紙第二目録(編略)1記載の不動産、原審相手方小山仁名義となっていた同目録2記載の不動産、原審相手方小山忠名義となっていた同目録3記載の不動産が吉郎の相続財産か各名義人の固有財産か否か、仮に吉郎の相続財産に含まれないとしても、各名義人の特別受益に当たるか否かが問題となった。)、原審参加人が提出したゑ津を遺言者とする昭和54年3月10日付遺言状(その内容は、別紙「遺言状」のとおりである。以下「本件遺言状」という。)の真偽等が争われた。

なお、原審参加人は、昭和62年になって、本件遺言状につき和歌山家庭裁判所に検認の手続を申し立てた(同裁判所昭和62年(家)第×××号遺言書の検認申立事件)が、この申立は、ゑ津が死亡してから約5年が経過し、ゑ津を被相続人とする本件遺産分割事件が係属してからでも約1年が経過してからなされたものであった。

(二)  原審判の判断の概要

(1)  吉郎及びゑ津の各死亡とその相続人及び法定相続分等は前記(一)の(1)、(2)、(3)記載のとおりであるが、本件遺言状はゑ津によって作成された有効な遺言書であるから、本件遺言状による遺言により、吉郎の相続財産に対するゑ津の相続分は全部原審参加人に移転し、その結果原審参加人の吉郎の相続財産に対する相続分は12分の5となった。

(2)  吉郎の相続財産は別紙第一目録記載の土地の所有権及び貸借権(以下「本件第一土地等」という。)のみであって、別紙第二目録記載の各不動産はいずれも各名義人の固有財産で、吉郎の相続財産には含まれず、ゑ津には、吉郎の相続人として吉郎の相続財産に対する12分の4の相続分があるが、そのほかの相続財産はない。また、原審相手方小山忠名義の同目録3記載の不動産は吉郎から同原審相手方に生前贈与されたもので特別受益に当たるが、原審参加人名義の同目録1記載の不動産、原審相手方小山仁名義の同目録2記載の不動産はいずれも吉郎から生前贈与されたものとは認められないから、特別受益には当たらず、他に特別受益に当たる生前贈与を受けた者はいない。

(3)  したがって、吉郎の相続人である原審参加人及び原審相手方らの本来的相続分額算定の基礎となる相続財産(みなし相続財産)は本件第一土地等及び別紙第二目録3記載の不動産であるから、これを原審における鑑定による価格に基づき民法の規定に従って原審参加人及び原審相手方の前記相続分に応じて計算すると、原審参加人の具体的相続分額は6413万8000円、原審相手方小山忠の具体的相続分額は零、その他の原審相手方らの具体的相続分額は各1282万6000円となる。

(4)  本件遺産分割申立の経緯、本件第一土地等の使用状況、原審参加人及び原審相手方らの生活状況や分割に関する意見その他一切の事情を総合検討すると、吉郎の相続財産である本件第一土地等はすべて原審参加人に取得させ、原審参加人から、原審相手方忠を除く原審相手方らに対しそれぞれ1282万6000円(合計7695万6000円)の代償金を支払わせるのが相当である。

(三)  まず、本件遺言状が偽造等により無効であるとの原審相手方森川佐知子、同小山広子、原審相手方小山優一及び原審相手方武田五月枝の抗告理由について検討する。

(1)  ところで、被相続人による遺言の存否とその効力の有無は、当該被相続人に関する遺産分割の前提たる事実及び法律関係として、遺産分割審判手続において審理判断されなければならない事項であり、そのための事実の調査は家庭裁判所が職種をもってなすべきものであるが、記録によれば、本件遺言状は、別紙遺言状記載のとおり、吉郎の相続財産に対するゑ津の相続分3分の1を原審参加人に相続させる旨の「遺言状」と題する書面であり、その全文、作成日付及びゑ津の氏名(但し、ゑ津の氏名は「小山ゑ津」ではなく「小山ヱ津」と記載されている。)が万年筆あるいはボールペン様の筆記具で記載され、ゑ津の氏名の下には「小山」と読める丸い印影が押捺されていることが認められるから、本件遺言状の右記載の全部がゑ津の自筆によるものであること及び右印影がゑ津の意思に基づいて顕出されたものであること(以下「自筆等要件」という。)が認められるならば、本件遺言状は民法968条の自筆証書遺言としての要件を具備した有効な遺言書に当たるものということができる。

(2)  そこで、本件遺言状が上記自筆等要件を具備したものといえるか否かについて考えるに、原審参加人は、原審における審問において、本件遺言状は、ゑ津死亡後程なくしてから、ゑ津と同居して生活していた原審参加人が、原審参加人宅の仏壇の引出しの中から封筒に入った状態で発見し、その際居合わせた原審相手方小山仁に見せたうえ、再度仏壇の引出しに入れたままにし、本件遺産分割申立事件まで他の者にこれを見せたり、その存在を知らせたりしたことはない旨及び本件遺言状の記載は全部ゑ津の自筆であって、ゑ津は生前自己の名を「ヱ津」と書いていた旨の陳述をしているが、他に本件遺言状が前記自筆等要件を具備したものであることを立証するための証拠はないところ、記録によれば、原審参加人は吉郎及びゑ津の長男であって、ゑ津は、本件遺言状の作成日付の以前から原審参加人夫婦と同居して生活し、昭和51年に脳溢血で左半身不随となってからは原審参加人夫婦の看病を受けていたことが認められるから、一応、ゑ津が原審参加人に対する感謝等の念から自己の相続財産を原審参加人に対し相続させることを内容とする本件遺言状を作成することも有り得ないわけではないということができる。

しかしながら、原審参加人の上記陳述は、本件遺言状をゑ津の死亡後程なくして発見したというにもかかわらず、居合わせた原審相手方小山仁だけ見せて、家庭裁判所に対する検認請求手続を採らなかっただけでなく、他の兄弟姉妹等にその存在すら知らせずに自己において保管していたというもので、亡母の遺言書に対する措置に関する陳述としては相当に不自然といわざるを得ない内容であるから、原審参加人の上記陳述の信憑性については慎重な判断を要するものといわなければならないが、原審参加人の上記陳述については、これを裏付ける何らの証拠資料もない(原審は、原審相手方小山仁を審問しているが、本件遺言状の真偽に関する陳述を求めた形跡はない。)うえ、本件遺言状に押捺されている「小山」の印影がゑ津の保管あるいは使用していた印鑑によって顕出されたものか否かを確定することのできる証拠資料もなく、かえって、長年ゑ津と同居して生活していた原審相手方小山優一は、原審における審問において、本件遺言状の記載はゑ津の筆跡ではない旨及びゑ津が日常自己の名を「ゑ津」と書いていた旨の原審参加人の上記陳述に反する陳述をしていること、原審記録中に、ゑ津作成名義の「不良住宅売買契約書」(原審記録207丁)、「普通預金払戻請求書」(原審記録238の6ないし8丁)、「不動産贈與証書」(原審記録526丁)が存在し、それぞれにゑ津の氏名が記載され、その名下に「小山ゑ津」あるいは「小山」と読める丸い印影が押捺されているが、これら書面中のゑ津の氏名の筆跡及びその名下の印影は、いずれも本件遺言状のゑ津の氏名の筆跡及びその名下の印影と同一のものとは認められないこと(もっとも、これら書類中のゑ津の氏名は他人による代筆の可能性もある。また、「不良住宅売買契約書」及び「不動産贈與証書」の印影はいずれもゑ津の実印によって顕出されたものではないかと推測されるが、この点を確定するだけの証拠資料はない。)、さらには、原審参加人が本件遺言状につき和歌山家庭裁判所に検認請求の手続をしたのが、ゑ津の死亡から約5年が経過し、ゑ津を被相続人とする本件遺産分割事件が係属してからでも約1年が経過してからなされていること等の証拠関係のもとにおいては、原審参加人前記のとおりゑ津が原審参加人に対する感謝等の念から本件遺言状を作成することも有り得る状況が存在したことを考慮しても、本件遺言状がゑ津の自筆によるものであるとの原審参加人の上記陳述だけによって、本件遺言状が前記自筆等要件を具備した有効なものと判断することには大きな疑問があるといわなければならない。

(3)  そして、本件遺言状の真偽等に関する上記のような証拠状況のもとにおいては、本件遺産分割申立事件における本件遺言状の効力の有無の重要性に鑑み、本件遺言状が前記自筆等要件を具備した有効なものといえるか否かを適正に判断するためには、さらに、本件遺言状の発見状況等に関して原審相手方小山仁を審問するはもとより、ゑ津所持の印鑑及びその保管状況について関係者を審問したり、あるいは当事者に対しゑ津の自筆文書を筆跡対照用文書として提出するよう命じ、提出された対照用文書と本件遺言状の筆跡とを裁判所自ら比較検討したり、場合によっては、本件遺言状の筆跡及び印鑑につき鑑定を実施するなどの事実の調査をする必要があるものというべきである。

(四)  次に、遺産分割方法の違法をいう原審参加人の抗告理由について検討する。

(1)  原審判は、前記のとおり、本件遺産分割申立の経緯、本件第一土地等の使用状況、原審参加人及び原審相手方らの生活状況や分割に関する意見その他一切の事情を総合検討した結果として、吉郎の相続財産である本件第一土地等はすべて原審参加人に取得させ、原審参加人から、原審相手方忠を除く原審相手方らに対しそれぞれ1282万6000円(合計7695万6000円)の代償金を支払わせるのが相当であるとして、その旨の審判をした。

(2)  ところで、家庭裁判所は、「特別の事由があると認めるとき」は、遺産分割の方法として、原審判のように、共同相続人のある者に対し遺産の全部を取得させる一方、その者に他の共同相続人に対しその相続人の相続分に相当する代償金支払債務を負担させる方法(以下このような遺産分割を「債務負担による分割方法」という。)によることができるのであるが(家事審判規則第109条)、右「特別の理由」とは、現物分割が不可能であるか、可能であっても、分割によって著しく価値を減ずる場合あるいは現物分割が可能であるが、遺産の内容や相続人の職業その他の事情から相続人の一部の者に対し具体的相続分を超えて遺産である現物を取得させるのが合理的と認められる場合等であって、かつ、代償金支払債務を負担させられる者にその支払能力があることを要し、代償金支払債務を負担させられる者にその支払能力がないのに、なお債務負担による分割方法が許されるのは、他の共同相続人らが、代償金の支払を命じられる者の支払能力の有無の如何を問わず、その者の債務負担による分割方法を希望するような極めて特殊な場合に限られるものというべきである。

しかし、原審記録を精査しても、原審判には、原審参加人について、支払を命じた7695万6000円もの多額の代償金を支払う能力があるか否かについて十分検討した形跡はないし、原審参加人に上記のような多額の代償金を支払う能力があるか否かを確定するだけの証拠資料はなく、また、原審相手方らが、原審参加人の代償金支払能力の有無如何を問わず、本件第一土地等を全部原審参加人に取得させ、自らは原審参加人からの代償金の支払でよい旨希望しているとの事実を認めるだけの証拠資料もない。かえって、原審判によって代償金の支払を命じられた原審参加人は、上記抗告理由のとおり、平成2年1月23日の脳内出血以降、肢体麻痺・言語障害等の後遺症があって、現在も寝たきりの状態で自宅療養をしているため、本件第一土地等の取得を認められても、これによって農業を継続していくことも、原審判によって命じられた上記代償金の支払をすることもできない旨の主張をしているのであり、かくては、原審参加人において、上記代償金の支払のために本件土地等を処分せざるを得ないこととなって、本件第一土地等を原審参加人の単独所有とした原審判の趣旨に副わないことになるのみならず、原審参加人において代償金支払のために取得した遺産を売却する場合には、売却代金額にもよるが、相当多額の譲渡所得税や住民税が原審参加人に課せられるため、原審参加人にその相続分に相当する財産が残らないこととなり、遺産を取得する原審参加人と代償金を取得する原審相手方らとの間の実質的な衡平を害することにもなるのである。

(3)  したがって、原審参加人の上記主張が事実とすれば、本件遺産分割においては、前記のような特別な場合以外は、債務負担による遺産分割の方法は採用することができないこととなるのであるから、原審参加人の代償金支払能力の有無等につきさらに事実の調査をして前記「特別の事由」の存否を確定することを要するものというべきである。

(五)  以上によれば、本件遺産分割審判申立事件を適正に処理するためには、上記(三)及び(四)に指摘した点につきさらに審理を尽くす必要のあることが明らかであるうえ、なお、記録によると、その他の抗告理由指摘の点についても十分な審理が望まれるところである。

3  よって、家事審判規則第19条第1項により、原審判を取り消し、本件を和歌山家庭裁判所に差し戻すこととして、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 篠原幾馬 裁判官 寺崎次郎 長門栄吉)

(別紙(一))

抗告の理由

1 被相続人小山ゑ津の遺言について

(1) 原審判は、被相続人小山ゑ津の、同人の遺産については、すべてこれを小山茂に遺贈する旨の遺言を有効として、これを前提にして、分割の審判をしている。

ところで、原審判は、抗告人らが右遺言は偽造であるから無効である旨主張したのに対して、何ら理由を示さずして、偽造は認められない、としている。

しかしながら、右ゑ津の遺言書と称する文書には以下に述べるような数々の疑問点が存するのである。

(2) ゑ津の「遺言書」について

<1> まず第一に、被相続人ゑ津は昭和57年2月25日に死亡したのであるが、同人の遺言書なるものは、その後約5年も経過した昭和62年7月にはじめて参加人小山茂によって検認の手続が行われている。同人は検認の手続きをしなければならないことを知らなかった旨述べている。

しかしながら、仮りに検認の手続を知らなかったとしても、茂の供述によれば、ゑ津が死亡したときから、当該遺言書は仏壇の中に封をしないまま入っていたことを知っていた、というのであるからして、当然他の弟妹たちにゑ津の遺言書がある旨を告げて然るべきである。なぜ5年間も黙っていたか、その理由は何ら述べておらず、全く不明である。

これは、ゑ津が死亡した当時は、そのようなものはなく、後になって偽造したものであることを推測させるものである。

<2> つぎに、ゑ津が作成したと称する遺言書の筆跡についてである。同人は日頃字はほとんど書かなかった。

それは、○○市○○字○○×××番地の×、宅地84.29平方メートルの贈与証書の末尾に記載されている「小山ゑ津」という署名の筆跡と右遺言書の筆跡とを比較すれば明らかである。すなわち、右贈与証書の署名はタドタドしく、いかにも日頃字を書きなれていない者が書いたことが窺われる。それと比較した場合の、本件遺言書の「小山ゑ津」の字は、決してそのようなものではなく、書きなれた者の字であり、明らかに異なっている。

抗告人らが、右遺言書は偽造であるとする所以である。

<3> 原審において、抗告人らはいずれも、右遺言書は、ゑ津の筆跡ではない、と明確に述べている。

してみれば、このように争いが存するのであるからして原審としては、右ゑ津の遺言書の筆跡がゑ津の自筆であるか否かについて、さらに他のゑ津の書いたものなどを当事者に提出させるなどして、これを審理すべきである。場合によっては筆跡鑑定も必要であったかもしれない。

ところが原審は、ゑ津の筆跡について、何らこのような審理をせずして、漫然とゑ津の筆跡としているのであって、これは明らかに審理不尽である。

2 相手方小山仁の特別受益について

(1) 原審判は、相手方小山仁について、同人名義の○○市○○○○×××番地畑591平方メートルについては、特別受益ではない、としている。

他方、相手方小山忠名義の○○市○○○○○×××番地の××畑862平方メートル他一筆の土地については、原審は特別受益である、としている。

(2) 右についてみるならば、相手方仁が土地を取得した時期は、昭和25年6月であり、相手方忠が土地を取得した時期は同年3月であり、時期はほとんど同じである。当時、仁は23歳、忠は19歳である。いずれも若年であり、相手方仁においても同人が独自でこれを取得したとはとうてい考えられない。仁自身原審において、同人は尋常小学校を昭和16年に卒業して以来、被相続人吉郎の手伝いをしたり、農閑期には○○組で働いていた。働いて得た金を家に入れていたことから、右土地は仁名義にしてくれたものと思う、と述べている。当時、相手方仁は、まだ、20歳にも達していなかったのであり、働いて得た金を家に入れていたとしても、それによって、右土地を取得するほどの収入を得ていたとはとうてい考えられない。

これは、相手方忠名義の土地が亡吉郎より贈与されたと同様に、相手方仁の右土地も、また亡吉郎より贈与されたものと見るべきものである。

相手方仁と同忠との間に右のような差異を認めなければならない理由は全く存在しない。

3 原審判の判断逸脱

原審判は、本件遺産のうちの原審判遺産目録3ないし7について、その評価額を、鑑定書にしたがって、9,989,000円と評価している。

ところで、原審鑑定書の物件番号2記載の物件も、同番号1の物件と同一であり、鑑定士は、右各土地について建物の存在する部分と更地部分とを分けて、それぞれについて評価額を出しているのである。

従って、本件で分割の対象となるものは、右1と2のそれぞれの評価額を合計したものというべきであり、その額は、17,716,000円である。

原審判は、右のようなきわめて基本的な部分について逸脱しているものであって、杜撰きわまりないものである。

(別紙(二))

抗告の理由

1 原審判は、抗告人に、相手方小山忠を除く相手方らに遺産取得の代償支払いを命じている。

2 然し、抗告人は、平成2年1月23日脳内出血により現在寝たきりで療養しており、肢体麻痺・言語障害などがあり、同年8月8日○○○○○病院を退院して自宅療養をしているが、病状は同じである。

3 抗告人において、上記病気発生前には代償金を支払ってでも解決したいと述べていたが、上記の病状では、抗告人は農業を継続することも、代償金をつくることも不可能である。

また仮りに、金融機関から代償金を借り入れて相手方らに支払いをすることができたとしてもその返済は全く不可能である。

4 従って、抗告人が相手方らに代償金を支払う方法としては、原審判によって抗告人が取得する不動産を抗告人において売却処分し、その売却代金によって上記代償金を支払う方法しかない。しかし、抗告人が、もし鑑定評価額相当金額で遺産目録1、2の不動産を売却すれば約3500万円の税金(地方税を含む)が課税される。この税金は専ら抗告人のみの負担となり、極めて不公平な結果となると同時に、抗告人の遺産相続分は実質的に減額されたことになる。

5 また、本件遺産目録記載の不動産は、いずれも同和地区内に存在し、到底原審判のような価格で売買されることはあり得ず、特に農地については農産物の価格低落などの事情もあり、原審判の判断した評価額は高過ぎて、実情に適合しない。

6 原審判の上記以外の諸点についての判断は概ね妥当であるが、上記の諸点を解決する方法として、遺産目録中、抗告人及び相手方小山忠を除く他の相手方に分割する遺産相当金をつくるため、適切な不動産を原審において現実に売却処分し、この売却代金(税金は、相手方夫々が取得する金員に応じて負担する)を分割支払うとの方法によるべきである。この点、原審判は分割方法において誤っている。

7 尚、原審判は、原審手続中の鑑定費用169万4000円中77万円を抗告人に負担を命じている。抗告人は鑑定について、抗告人所有名義の不動産は遺産に相当しないものであるから不要であると主張してきたにも拘わらず、抗告人所有の和歌山市に存在する不動産まで鑑定をした。

従って、鑑定費用の負担を命ずる原審判第2項は、その判断を誤っており、抗告人に対しては遺産と認められた不動産に関する鑑定費用の内抗告人の取得割合に相当する12分の5を基準にその負担を命ずべきである。

(別紙(三))

抗告の理由

第1原審判の根本的誤り

原審判は、審理の過程の中で争点となった事柄について、何ゆえかかる認定となったのかという基本的な点を何ら説示せず、極めて杜撰な審判であるが、そのことは、次に述べる基本的誤りに端的に現れている。

即ち、原審判は相続財産の範囲について、○○市○○字○○××、××番×、××番×、××番×号内×号、××番×が含まれるとしている。そして、その審判時の価格を金9,989,000円としている。この金額は鑑定書に従って認定されたものであるが、もっと慎重に鑑定書を読めば、上記各物件の審判時の価格は、9,989,000円に7,727,000円を足した金17,716,000円であることは明白である。即ち、鑑定書物件番号1、同2は、ともに上記物件の一部であるのである。このことは、鑑定書添付別紙1をみても明らかである。

このように、仮に原審判の認定事実がすべて正当としても、原審判は取り消されざるを得ない。

第2原審判の認定の誤り

1 相手方小山茂、同小山仁、同小山忠名義の不動産の性質について

この点、原審判は、相続財産に属することも、また(忠名義を除いて)特別受益性も否定している。

しかし、この認定は誤りである。

(1) 上記各相手方名義の不動産は、すべて、故小山吉郎が購入したものである。原審判は、忠のもののみ特別受益としているが、これはとりもなおさず忠名義の不動産については、吉郎が購入したものであることを認めるものであるが、他の2名のものの不動産の購入もすべて右忠名義の不動産の購入と時期を同じくする昭和25年であり、しかも当時の年齢も、茂25歳、仁23歳、忠19歳であり、更に各々仕事もしていたものであり、茂・仁と区別して忠を別に扱う合理的理由はない。確かに忠は、その名義の不動産について、吉郎が購入したことを認めているが、仁もその名義にかかる不動産の購入資金を自ら工面していないわけであり、この点からも忠のみを区別する理由はない。

むしろ、茂・仁の各名義の財産を含め、吉郎が購入したものと考えるのが合理的である。そして、仁は、昭和27、8年ころ「何もいらないと言って」裸一貫で大阪へでていったものであるが、このことはとりもなおさず、同人名義の不動産について同人に自己の所有物であるとの認識がないことを示しているものである。

従って、上記の相手方の名義の各不動産は、実質的に相続財産を構成するものである。なお、この点と自作農創設特別措置法との関係については、原審第3回上申書に詳しく論述している。

また、申立人が問題にしている茂名義の不動産には、既に他に売却しているものも含んでいるものである。原審判は指摘する○○市○○字○○○×××番×、×のみではない(ここにも原審判の杜撰さが現れている)。

(2) 仮に、上記各不動産が相続財産を構成しないとしても、各々の特別受益に該当することは明らかである。

相手方忠は、そのことを自認し、同仁も、その点を認めている〔但し、仁は自己が吉郎に送金していたからその見返りとしてくれたのだろうと供述しているが(同人審問調書)、送金していた金額も何も明らかではないのであるから、吉郎の贈与と考えるのが合理的である〕。

また、昭和25年に自作農創設特別措置法により取得された茂名義の不動産は、前記××番×(122平方メートル)、×××番×(20平方メートル)、×××番×(333平方メートル)、○○市○○○×××番×(347平方メートル)、○○市○○字○○○×××番×(280平方メートル)であり、その合計は1102平方メートルである。また、相手方忠の名義の不動産の面積は、862平方メートルである。そして、茂の供述によっても、和代の婚姻費用のため約300坪の土地を売却したというのであり、また佐知子の婚姻費用のため土地を約1反売却したというのである。以上を見れば、吉郎はその子供に対して、男には土地を約1反、女には土地約1反程度の婚姻費用と考えて行動していたことが伺えるものである。従って、上記各人の名義の不動産は、各々の特別受益を構成するものである。

茂は、自ら資金を捻出してこれらの不動産を購入したとしているが、上記×××番の土地の購入金額について一方では550円以上支払った(昭和63年4月12日審問調書58項、59項)と供述しているかと思えば、他方5円50銭と供述(同調書120項)したりしており、なんらその供述には信用性がない。更に、茂は相手方忠の名義の土地を従前から耕作しておりながら、本審判手続になってから急遽忠あてに地代の供託などをしており、その行動は極めて不審である。

2 被相続人ゑ津の遺言について

原審判は、この点についても極めて簡単に有効であると認定しているが、相手方自身遺言書の字体と調査報告書中の贈与契約書の筆跡が異なると供述し、申立人は明確にその筆跡が他人のものであることを指摘している。従って、このような状況において、右遺言書を有効と認定することは極めて困難と言わざるを得ない。

仮に、遺言者が有効と認定するならば、贈与契約は無効となる筋のものであり、従ってその贈与にかかる○○市○○字○○×××番×は、被相続人ゑ津の相続財産として分割の対象となるものであり、いずれにしても原審判は取り消しを免れない。

第3原審判の判断脱落

1 原審判は、○○市が購入した○○市○○字○○××××の一部の代金を半金金701,920円を相続財産に組み入れることを失念している。

まずこの売却部分が、鑑定書の物件番号3に含まれていないことは同鑑定書8ページの(7)により明らかである。次に相手方茂は、この金員は土地代金ではなく、地上物件の補償であるとしているが、この部分の補償は別途金921,906円が支払われているのである。従って、右金701,920円が相続財産を構成すること明らかである。

2 故吉郎名義の家屋補償金金8,713,000円について

この金員について相手方茂は全く知らないと言い張っているが、この金員が○○信用金庫のゑ津名義の口座に振り込まれたとき、茂の次男がその支店に勤務していたものであり(昭和63年4月12日茂審問調書170項)、知らないことはあり得ないものであり、他の兄弟姉妹もこの問題は、茂が実質的に処理したと考えているほどの状況であるから、この金員については、相手方茂が何らかの形で取得しているとしか考えられないものである。よって、この金員も相続財産を構成するものである。

第4結論

以上のように、原審判は記録を精査したとはとても考えられないものであり、再度慎重に審理されなければならない。よって、速やかに原審判は取り消されるべきである。

(別紙(四))

抗告の理由

1 被相続人小山ゑ津の遺言書は、本人の自筆によるものでなく無効である。

2 遺産の範囲・評価を誤っている。

3 特別受益に関する認定を誤っている。

なお、抗告の理由については、追って詳細を追加する予定である。

(別紙)

遺言状

私義此度病寝中につき

一身上満一の場合は

(夫)小山吉郎死亡相続財産三分の一受取分を私の死亡後は長男茂に相続する事を遺言としてお願い申し上げます。

茂殿

昭和54年3月10日

小山ヱ津

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例